40代女性 広汎性発達障害(PDD)による精神の障害で障害厚生年金3級を受給できたケース

ご相談者様女性(40代)
傷病名広汎性発達障害(PDD)
決定した年金の種類と等級障害厚生年金3級
受給決定額年間約62万円

ご相談内容

いつも大変お世話になっております病院の院長先生からご紹介頂きましたお客様でした。

お話をお伺いしますと、小さい頃から母親以外の人が苦手で、いつも母親の後ろに隠れて、周りの子供たちの中に入ることができなかったそうです。
幼稚園に入っても特に女の子が苦手で、一緒に遊べず、一度もおままごとをしたことがありませんでした。
チクチクするセーターが着れないなどの感覚過敏もありました。

小学校では、先生の話は聞けず、周りに合わせて同じようにするのが嫌で、友達もできず孤立しました。
毎日のように忘れ物も続き、都度取りに帰されました。
そんな状態が続きストレスが溜まると、お腹が痛くなったり、頭が痛くなったり、熱を出したりしました。
高学年になると、女の子の中でグループができ、その中に自分も入らないといけないという意識が芽生え、周りの女の子に合わせなくてはいけないと思い始め(ということを自分なりに学び)、無理して合わせる自分を演じるようになったそうですが、とてもしんどく、反動でお腹が痛くなったり、頭が痛くなったり、熱を出したりしました。

中学校でも最初は周りに合わせるようにしていましたが、ある時、「もういいや」と思い、1人でいるようになりました。

高校はそれまでの友達関係を断ち切るため、遠くの学校に進学しました。
しかし、初めての電車を使った登校で、窮屈さで息苦しくなったり、感覚過敏から人の匂いが気になるなどしました。

学校でも孤立し、そのうち授業にもほとんど出なくなり、1年生の途中で退学しました。
その後、働き始めますが、研修では全くついていけず、実践になると一つとして仕事ができませんでした。
その後もアルバイトを転々としますが、どこも長続きせず、あるときバスを待っている時に倒れてしまい、公共交通機関も使えなくなり、完全に自信を失い、自己嫌悪に陥り、それ以降長期間家に引きこもってしまいました。

数年経った時、お母さまから自動車の運転免許の取得を勧められ、1年ほどかけて運転免許を取得しました。
その後、少しずつ外に出られるようになり、仕事を始められました。
しかし、ルーティン化された仕事は自分なりのやり方で誰よりも早くできましたが周りから嫉妬され、一方で電話対応などは全くできず、周りから小馬鹿されたりいじめられるようになりました。
最後、とうとう会社にも行けなくなり、病院を受診されました。
家に引きこもり、トイレも這ってしか行けないほど何もできない状態が続きました。

今は配慮された環境で何とか働かれていますが、日常生活や就労の多くの場面で苦労されていらっしゃいました。

当センターのサポート

医師に、お客様からお聞きした日常生活でのご不自由やお仕事での支障をお伝えすることにより、それらを正しく反映した「診断書」を作成頂けるようにサポートさせて頂きました。
また、他に「病歴・就労状況等申立書」や補足資料も使って、ご不自由が多く大変な状況であることを日本年金機構に理解頂けるようにサポートさせて頂きました。

当センターでは、ほとんどのお手続きにおいて、日本年金機構から提出を求められている書類以外に、時には写真などを使った補足資料等で通常の書類だけでは十分に説明できない「日常生活でのご不自由やお仕事での支障」をより具体的に説明し、日本年金機構に理解頂けるように工夫をしています。
手間のかかる作業ですが、確実に障害年金が認定されるように、労力を惜しまず、「出来ることは全てやる」ということを心掛けています。

結果

結果、無事「障害厚生年金3級」の受給が決定されました。
本当に、良かったです。

受給決定額年額約62万円

無事、障害厚生年金3級が受給決定し、お客様も大変喜ばれておりました。