ご相談内容
当センターのホームページをご覧になって、ご相談を頂きました。
お話をお伺いしますと、小さいころから周りの同年代の友達の中に入って遊ぶことはなく、いつも一人で遊んでいたそうです。
幼稚園でも人見知りが強く友達と話したり遊ぶことができず、いつも1人でいて友達はできませんでした。
また、周りと同じ行動ができず、お遊戯会でも一人違う踊りを踊っていました。
小学校でも友達はできず孤立し、友達の名前も覚えることができませんでした。
周りの音が全て同じ大きさで聞こえ、それが嫌でいつも机の音を聞いていました。
光に対する感覚過敏があり、集合写真ではいつも一人眩しそうに眼を細めていたそうです。
中学校でも友達はできず孤立していました。
この頃になると、人の臭いが気になったり、人が近づいてきたり触れられるのがとても嫌で、常に周りの人と距離を保つようになり、全校集会など人が多く集まるところでは緊張し非常に苦痛でした。
高校でも友達はできませんでしたが、時間や決まり事を守るというこだわりが強く、3年間無遅刻無欠席でした。
学校卒業後、働き始めましたが、こだわりから時間通り言われたことをきちっとするので、しばらくするとリーダー的な立場を任されました。
しかし、他の社員やパートさんからは妬まれ、かといって幼少期から他人とのコミュニケーションが苦手で、雑談などもできず、フォローすることができないばかりか、不真面目な人には遠慮なく注意したりと、周りと良好な人間関係が構築出来ず、やはり孤立しました。
一方で、上からはますます難しい仕事を任せられたり、仕事量が多くなり、何とかその期待に応えようと頑張ってしまい、しまいには自分で自分の首を絞めるような状態,キャパオーバーになり、仕事を辞めるということが続きました。
そんなことが続き、漠然と不安が大きくなり、辛く、自傷もするようにもなり、病院を受診されました。
その後も仕事上での問題は続き、転職を繰り返して来られ、今は無職で家から出られず引きこもった状態でいらっしゃいました。
当センターのサポート
お客様から、「初診日」は25年ほど前だとお聞きし、「カルテが残っているかな?」と不安になりましが、病院に問合せてみると、何とカルテが残っているとのことで、胸をなでおろしました。
しかし、初診日の証明書である「受診状況等証明書」を入手すると、そこには前医として4軒もの病院名が書かれていました。
お客様に確認してみますと、「それら4軒いずれも今回請求する精神疾患で受診した病院ではない」とのお話でした。
しかし、「受診状況等証明書」に前医が書かれていると、日本年金機構としては請求側がいくら「関係ない」と申し立てても申し立てだけでは納得してもらえません。
「受診状況等証明書」に書かれていた前医の受診が今回請求する精神疾患と関係あろうがなかろうが受診内容を証明する必要がありましたので、それら4軒の病院に問合せてみましたが、いずれの病院もカルテは廃棄されており、正直「不支給決定」が頭をよぎりました。
しかし、当センターはそう簡単に諦めません。
一方で、初診日は25年ほど前ですが、その後20年近く病院の受診はありませんでした。
この20年間、決して順風満帆という訳ではありませんが、子育てをしたり、社会活動にも参加するなど、通常の日常生活を送っていらっしゃいました。
そこで、この20年間ほどの期間を「社会的治癒」として申し立て、約20年後に受診した病院を初診日として、請求することにしました。
ということで、今回下記の通り、最低限受給権の確保を目的に、「障害厚生年金」と「障害基礎年金」2つの同時請求をしました。
①障害基礎年金 初診日:25年ほど前
↓ 社会的治癒
②障害厚生年金 初診日:3年ほど前
「障害年金」の請求後も、日本年金機構から返戻がありましたが、しっかり対応しました。
結果
結果、無事「障害基礎年金2級」の受給が決定され、社会的治癒は認められませんでしたが、最低限の目標であった「障害年金」の受給権は確保できました。
最後まで諦めずに、労力を惜しまず、粘り強く、あらゆる手段を駆使した結果だと思います。
本当に、良かったです。
無事、障害基礎年金2級が受給決定し、お客様も大変喜ばれておりました。
「障害年金」の請求手続きでは、今回のように「初診日」の証明が出来ないというような問題に突き当たりますが、当センターのモットーである「最後まであきらめません」を念頭に、労力を惜しまず、あらゆる可能性を模索しあらゆる手続き方法を使うことで問題を解決し、確実に「障害年金」が認定されるように常に最善を尽くします。